沼津駅から約15km、岩波駅から北に向かいます。
岩波駅を出発すると、踏切を越えたあたりから単線になります、単線になってすぐに小さな橋梁?水路を渡ります。
この水路の橋台は他の橋梁と同じように複線用になっており、切り石積みになっています。
水路の北側には連続して3個の鉄橋がありますが、徒歩で撮影できるのは2箇所共同住宅横の堤防より河原に下りて、川岸を上流に上って行くとたどり着きました。
下岩波川橋梁です。 南側の橋台はほとんど高さがありませんが、石組みである事は判ります。
北側の橋台は
こちらも、高さがほとんど無く、鉄橋の高さと同じくらいになっています、ただ、過去に複線であった事を証明するように、橋台は複線構造になっています。
川の浅瀬を探して岩の上を飛び移りながら対岸に渡り、大回りしながら北側に移動すると
上岩波川橋梁です、下岩波川橋梁と同じように川岸には橋台がほとんど見えない状態です。
鉄橋の反対側に回り込んだところ、タイミング良く特急がやってきました。
こちら側に回り込むと石積みの橋台が良く判りますし、昔は複線であったことも判ります。(残念ながらもうひとつの川に架かってる鉄橋の撮影は不可能でした。)
岩波川から北に数百メートル移動すると、小さな「まんぽ」に出合えます。
遠景を見るだけでは「まんぽ」には見えませんが、近づいてみると・・・・
レンガ造りの「まんぽ」が顔を出します。
正面に回りこんでみると
のり尻がコンクリートで補強されており、「まんぽ」の翼壁が見えません。
そこで、大回りをして反対側に行って見ると
完成当時の面影が残る「まんぽ」が見れました、アーチ部の覆工やアーチ部分より下側は「焼きすぎレンガ」を使っています、また、パラペット部分は焼きすぎレンガと普通のレンガを交互に積み上げている事が判ります。(まんぽの部位名称の詳細につきましては「構造物って何だろう」を参照願います。)
岩波のまんぽから北へ100m移動すると小さな鉄橋があります。
この鉄橋は仲ノ町川橋梁で、複線時代の橋台が残っています。 仲ノ町川橋梁から北へ200m進むと支線が分岐していた後がありますが、この支線は関東自動車の敷地まで延びていますが、関東自動車以前はどうだったのか? 気になる所ですが、別の項目で紹介したいと思います。
支線分岐の場所からさらに北へ、約1Km大きなSカーブの途中に小さな橋梁があります。
この橋梁は鉄橋も撤去されて暗渠になっていますので、上から見ただけでは判りませんが、橋台は石積みですので、昔は鉄橋が設置されていた事が判ります。
撤去された複線部分は保線用の道路として使われているようで
鉄橋の変わりに鉄板が引かれ架設の道路になっていました。
この付近の地名は神山という地名ですので、
先ほどの橋梁があった部分か、この大きなカーブ付近が明治29年から明治44年まで使われていた、神山信号所跡かもしれません。
神山から北へ2Km移動すると、富士岡駅です。
この富士岡駅は先の岩波駅に引き続きスイッチバックが在った駅です、写真左側に写っている高台がスイッチバックの跡で・・・
同じ場所から南を望むと
先ほどの高台が南側に上っているように見えます。
この高台は現在は富士見台公園として整備され
高堤防として案内板が建てられています、説明書きにはこの場所がスイッチバック式発着場の跡地としか明記されていません。
この看板より南側は公園らしく柵で囲まれ、ベンチなどが置かれています。
残念ながら線路や枕木、車止めなどは残っていませんが、付近の情景にマッチしていない堤防状の高台はスイッチバックの遺構だと言う事がわかります。
この高台から北側を望むと
富士岡駅北側まで続いている事がわかります、この写真を見ると、本線に勾配が付いていてスイッチバックの発着場であった、この高台にはほとんど勾配が付いていない事が判ります。
富士岡駅を出発して北へ約2Km、南御殿場付近で連続して「まんぽ」が存在します。
遠景に覗いて見ると・・・この先に鉄橋が在るのか? まんぽが在るのか? コンクリートの護岸の上を突入です。
そして現れたのは・・・・
アーチ部は4重のレンガで覆工され迫持やパラペット、笠石は切石で組み上げられた坑門のまんぽです。
反対側の坑口は・・・・
藪が覆いかぶさっていて、近づく事が出来ませんでした。
このまんぽから百数十m北側にも「まんぽ」が存在しています
こちらの「まんぽ」は少し大きめの「まんぽ」ですが、構造は先程の「まんぽ」と同じ造りになっています。
この「まんぽ」は上部の構造が良く判ります
トンネルの坑門と同じように笠石を配置し、上部からの雨水や崩れてきた土砂などが水路に直接落ちない構造になっています。