関西鉄道の草津駅より遺構探しの散策へ出発です。
草津駅を出発した関西鉄道は草津駅構内を出ると東へカーブしてゆきます、現在は道路になっていますが、この辺から東へ向かっていたようです。(現在のJR草津線は東北の方向へ東海道本線と併走し葉山川橋梁附近から東南の方向へカーブしています。)
滋賀県栗東市下鈎の新幹線高架下で現在の草津線と同じコースを辿る事になりますが、栗東市六地蔵で関西鉄道時代?の小さな鉄橋を発見しました、小さな鉄橋ながら橋台は石積みになっています。
上の写真のすぐ近くにも石積みの橋台に暗渠の鉄橋があります、この鉄橋の手前には石で作った用水路が鉄橋に平行して小川を渡っていました。 この石で作った用水路も関西鉄道が作ったのかな?
滋賀県栗東市林附近には道路と平行している部分が石積みの土留壁(のり面が急勾配とならざるを得ない場合に地盤の変形や緩みを防ぐために、土圧に抵抗して土を押しとどめる役割を果たす構造物の一種) になっています。 この石積みの積み方は一般に谷積み(日本流の間地石と呼ばれる四角錐に整形された石を斜めに組み合わせながら積み上げる方法)と言われる積み方で、我が国独自の積み方とも言われていて水平方向に力が加わる構造物に対して採用される傾向にあるようです。
滋賀県栗東市石部北2丁目附近に架かる宮川橋梁です、この鉄橋も橋台は石積みの小口積み風の布積みと言われる積み方で雇い外国人が持ち込んだ西洋流の石積み方法で垂直方向に力が加わる構造物に対して採用される傾向にあるようです。 この橋桁は残念ながら関西鉄道時代の橋桁では無く、日本国有鉄道時代に大型蒸気機関車を導入も視野に入れて架け替えられたようです。
滋賀県湖南市石部口1丁目で発見したレンガ作りのアーチ橋「まんぽ」です、草に覆われて見逃しそうでしたが、関西鉄道時代の遺構だと思われます。
アーチ橋「まんぽ」の近くまで降りてみました。 このように小さなアーチ橋「まんぽ」でも力を入れて作ってあることが判ります。
このアーチ橋「まんぽ」の細部に目を向けてみますと、帯石にレンガで蛇腹と言う装飾が施されていて、このような小さなアーチ橋「まんぽ」でも、関西鉄道の技術者は拘りの中で仕事をしていたのかと驚かされます。
上の写真を撮影したすぐ横にある落合川橋梁です、草が覆い茂っているので詳しい事が判りませんが橋台は石積みで作られているようです。 この橋桁も関西鉄道時代の物では無く、官設鉄道時代の鉄道省が作った橋桁の特徴が見られます。
滋賀県湖南市石部口4丁目附近にもアーチ橋「まんぽ」を発見しました、ここも草が覆い茂っていたので詳しくは判りませんが、特徴のあるアーチ橋「まんぽ」です。
坂を下って近くに寄ってみました。 このアーチ橋「まんぽ」は迫石が焼き過ぎレンガの小口積みを使い装飾されています、残念ながら草が多すぎて帯石の装飾や笠石などが確認できませんでしたが、草が枯れるころにもう一度訪れてみたいと思います。
滋賀県は天井川(川底が周囲の土地より高い川の事を言います)が多いために各所で川の下を潜る道路や鉄道が多いのですが、滋賀県湖南市夏見附近にある天井川の下を潜る関西鉄道の遺構です。 この天井川自体は排水路が完成したために、天井川自体の解体が進んでいます。
天井川の近くに行って詳細を見てみました、この由良谷川水路橋には関西鉄道時代の遺構が少しだけ残っていました、水路橋自体や水路橋を受けている橋脚は新しく作りかえられたようですが、新しい橋脚の下に関西鉄道時代の橋脚の基礎がレンガ作りで残っていました。
滋賀県湖南市吉永附近にある天井川の大砂川を潜る大砂川隧道です。 このトンネルは関西鉄道時代の特徴を多く残していて、トンネルの坑口の基本を多く取り込まれています、レンガ作りでありながら笠石や帯石は石積みでデザインされアーチ部分には要石が取り付けられ、スプリングラインより上の迫石は四角く切り出した石ではなく楯状に先を尖らせた石を迫石として使われています、スプリングラインより下の側壁部分は四角く切り出された石を坑門の部分にだけ使われ、トンネル内部の側壁は上部半分はレンガ積みで下部は石積みで作られています。
大砂川隧道から南東へ800m移動すると
湖南市三雲に入ってきます、三雲駅の手前、荒川に掛かる西荒川橋梁です。 橋台はレンガと石で組み上げられた関西鉄道時代の遺構だと思います。
南東の橋台もレンガと石積みで作られています。
橋桁は関西鉄道時代の鉄橋ではなく、昭和4年製造の鉄道省の鉄橋です。 銘板は破損や腐食も少なく製造所の名前や刻印が良く判ります。
西荒川橋梁から西へ600mm、三雲駅です。
関西鉄道時代から有る駅で関西鉄道時代の駅舎では有りませんが、趣のある木造駅舎です。
駅舎の入り口には木製の看板が取り付けてあります。
三雲駅の横には関西鉄道当時?の石積みの土留が残っています。