田口鉄道株式会社・その2
 

 

 


旧・豊橋鉄道田口線

三河大草駅より鳳来寺駅まで

 愛知県新城市富保附近。

三河大草駅を北に向けて歩き出すと両盛土の築堤になります。

 新城市富保と同市富保字西谷下附近に掛けての大草隧道です。

 自然掘りの切り通しの中、トンネルの坑門はコンクリートで固められています。

 トンネルの入り口横には架線柱の跡らしき切り口が残っていました。

 トンネル自体は素掘りで入り口附近と左側(北に向かって)の側壁だけはコンクリートで覆工(ライニング)されており、コンクリートの仕上げ面より木製セントル(木製支保工)工法で施工された事が伺える。

 同市富保字西谷下附近。

 トンネルを抜けると両盛土の築堤になり両側に水田が広がります。

 横断している道路の向こう側はトンネルが有ります。

 このトンネルは峰第一隧道でトンネルの内部から鳳来寺駅方面(北側)を見ています。

 峰第一隧道を北側(鳳来寺駅方面から三河大草駅方面を見る)から見ています。

 先ほどの大草隧道と違いこの峰第一隧道は全てが木製セントル工法で覆工されています。

 同市富保字西谷下附近。

峰第二隧道の入り口です。

 この峰第二隧道は同市富保字西谷下と同市門谷字黒谷に掛けてのトンネルでトンネルの入り口横にはお地蔵さん?が建立されています。

峰第二隧道の中に入ってみました、ここは廃線後、農産物の栽培に使われていたのか木製の扉がついています。

 峰第二隧道の中央部は素掘りのままで覆工はされていません。

 山が低くトンネルの地圧が少ない事と地質が良好な事で素掘りのままで大丈夫なのです。

 同市門谷字黒谷附近にある峰第三隧道です。

 トンネル上部からの崩落が激しく坑門の半分まで落石で埋まっています。

 この峰第三隧道も坑門はコンクリートで作られていますが、トンネル中央部は素掘りのままです。

 北側は落石も無く線路跡が判るようです。

 峰第三隧道の北西側(鳳来寺駅側)坑門です。

 こちら側も少し落石の後がありますがトンネルの形が良くわかります。

 峰第三隧道を通り抜けて振り返り三河大草駅方面(南西側)を撮影してみました。

 同市門谷字黒谷附近にある峰第四隧道です。

 このトンネルも入り口に落石が堆積していて1/3位が埋まってしまっています。

 同市門谷字黒谷と同市門谷字万寿附近に掛かっていた傘川橋梁です。

鉄橋の下の県道32号線から橋台を見上げるとこんな感じに見えます。

 草木に隠れてコンクリート製の橋台が見えませんが黄色い線で示しているのが橋台の縦線です。

 同じ場所からアップで写真を撮影してみました。

 ツタの絡まるコンクリート製の橋台が判るでしょうか?

 書籍を見てみると、この付近には金属で出来た架線柱が現存するとの事ですが、今回は発見できませんでした。

 傘川橋梁を過ぎると田口線は山の中腹を走っているそうですが、確認は出来ていません、また、新城市門谷字万寿から同市門谷字笠川附近に掛けて万寿隧道が在るのですが、確認しないで過ぎてしまいました、後日、再調査をと思っています。

 新城市門谷字笠川附近、鳳来寺駅が有った場所です。

 写真右側の元病院でその後高校女子寮になった建物も現存し、写真中央の元高校教員住宅も現存し、火の見櫓も当時のまま現存しています。

 鳳来寺駅跡の遺構らしき物が発見できないまま、気になったのがこの石積みの基礎。

 田口鉄道工事完成記念写真集を見ると、鳳来寺駅には貨物用の側線があり、この側線沿いに石垣があったようです。

 次は鳳来寺駅跡より玖老勢駅跡までをたどります。

 この間には田代隧道田代川橋梁麹坂隧道玖老勢川橋梁と見所が一杯で、続きは第三章でご紹介致します。

2009年8月15日撮影