この項では東海道本線が開業後、明治時代から大正時代に時間短縮や勾配の緩和のためにルートが変更された新線の開業時の遺構を捜し歩いて紹介してゆきます。
東海道本線は明治時代に開業したために、陸蒸気の火の粉で家が火事になるとか、海岸線は外国の侵略に対して無防備すぎるとの理由から、街道筋の街並から外れた場所や山間部を迂回するルートだったために、開業から数年で長大トンネルの完成により短絡線の開通や海岸線への路線変更が多く行われました。
新たに開通した新線で石積みやレンガ作りの構造物など、開業当時の遺構を区間に分けて紹介します、またこの区間でも昭和になって複々線化工事が行われたり、電化工事が行われ新たにコンクリート作りで作られた構造物は省いてあります。
1)新線(大阪駅~吹田駅間) 2)新線(京都駅~膳所駅間)
3)新線(米原駅~関ヶ原駅間) 4)新線(関ヶ原駅~大垣駅間)
5)新線(沼津駅~熱海駅間) 6)新線(熱海駅~根府川駅間)
7)新線(根府川駅~国府津駅間)