1、境界柱
鉄道の敷地と他の敷地を区別明記するために、線路沿いには境界柱と言うコンクリート製や木製、プラスチック製、御影石製の標識が埋め込まれています、この標識も良く観察すると色々な疑問や発見があります。
ここでは、一般に見られない境界柱や過去から忘れられたいた境界柱、現存する古い境界柱を紹介してゆきます。
a) 東海道本線線路脇で見つけた境界柱
滋賀県の南彦根駅と河瀬駅の間で見つけた境界柱で御影石で作られています。
この境界柱は上部が少し細くなっていますが、JRの境界柱と同じように並んでいます。
上から見ると
境界柱の天場にはカタカナの【テ】が刻印されているでは有りませんか、私の想像では明治?大正?昭和?の時代に建注された鉄道省?鉄道院?帝國鉄道省?が管理していた頃の境界柱ではないかと思います、ご存知の方がいらっしゃいましたら、ご指導いただければと思います。
b) 軍事工廠廃線跡で見つけた境界柱
愛知県春日井市で見つけた境界柱で御影石で作られています。
昭和14年ごろに陸軍高蔵寺工廠がこの附近に有り、中央本線高蔵寺駅北側から分岐して北側に伸びていたようです。
この石柱の裏側を見てみると、
陸軍と言う文字が刻まれているでは有りませんか、これは昭和14年頃から今もなおこの地に残っている歴史的構造物だと思います。
この工廠廃線跡を辿ってみると
と言う境界柱や、
が、点在しています、この陸軍高蔵寺工廠は今は航空自衛隊高蔵寺分舎として現存していますので、境界柱は防衛庁となっているのでしょう、もちろん航空自衛隊高蔵寺分舎には鉄道は引き込まれていません。
c) 旧舞鶴海軍軍事工廠廃線跡で見つけた境界柱
京都府舞鶴市で見つけた境界柱でコンクリートで作られています。
丸の中にMとIの刻印があります、西舞鶴駅附近から日之出化学工業まで伸びていた専用線跡を散策していて発見しました、日之出化学工業の専用線なのにMとIのイニシャルが不思議で歴史を調べた上で、私なりの仮説を立ててみました。
この日之出化学工業は昭和24年に創立した会社だそうで、地元の方に廃線のことを聞くと、戦時中に国鉄が線路を作ったとの事でした。
年代が合わない!! そこで日之出化学工業の歴史を調べてみると、戦後、舞鶴海軍工廠の跡地を買って工場を建てた事が判りました。
そこで私が考えたのは 大日本帝国海軍舞鶴工廠 Imperial Japanese Navy in Maizuru のイニシャルを使ってIMになったのではないか? と言うことで海軍工廠の境界柱と表現してみました。