大阪鉄道(桜ノ宮駅~京橋駅間)

大阪鉄道時代の遺構を探しながら散策の開始です。

 本来なら大阪駅より散策を開始したいのですが、大阪駅~天満駅間は地上線だったのが高架線になっているので遺構発見は難しいと思い、桜ノ宮駅附近から散策を始めました。

 30年前には大川に橋脚が残っていた記憶があるのですが今回は桜ノ宮駅から歩き始めました、大阪市都島区中野町4投目附近で、まず目に入ってきたのが桜ノ宮駅の中央部の下にある通路です。

 レンガ作りの橋台部分が残っています、橋桁部分に当たるところはコンクリートになってしまっていて当時の面影はありませんが、このレンガは大阪鉄道時代の遺構だと思います。

 

 上の写真2枚に写っていますが北側にはアーチ状の垂れ壁?補強?が入っています。

 

 北側に回りこんで撮影してみました、アーチ橋(まんぽ)の形状になっています、この桜ノ宮駅は何回か移動しているので詳しい事は判りませんが、一応、桜ノ宮駅の下にあるので大阪鉄道時代の遺構と思われます。

 東に150m移動するとホームが終わる部分に跨道橋があります。

 西側の橋台はレンガで作られています、橋桁はコンクリート製になってしまっていますが、橋桁を受ける床石(ベッドストーン)は現存していますので、複線でこの橋台が作られた事がわかります。

 東側は

 ブロックで覆われていますが、橋台の側壁だけが確認できます。 ここもレンガ作りの橋台であることは判ります。

 さらに南東へ50m水道上橋梁があります。

 ここは大阪鉄道時代の構造物と関西鉄道に合併後、関西鉄道の桜ノ宮線として作られた構造物が並んで残っている部分で、私なりの見解で写真に写っている手前の橋台が関西鉄道の桜ノ宮線跡(明治34年)、中央部が大阪鉄道時代(明治28年)の橋台、奥に見えるコンクリート製のアーチ橋が国鉄時代に掛けられた環状線の橋梁だと思います。

 大阪鉄道時代の橋台を見てゆきます。

 草(ツタ)が絡まって判りづらいですが、橋桁を受ける床石が2段になっています、下の床石が大阪鉄道時代で、関西鉄道になってから嵩上げをするために既存の橋台に積み重ねるように盛り上げたのではないかと思います。

 反対の西側の橋台も

 橋桁を受ける床石が上下2段になっています。 この西側には関西鉄道桜ノ宮線用の橋台は取り壊されて存在しません。

 さらに南東へ100m長州架道橋です。

 ここもレンガ作りの橋台が残っています、橋桁は無くなりコンクリート橋に変わっていますが、橋桁を受ける床石は残っています。

 東側の橋台も

 レンガ作りのまま残っています、西側の橋台と同じように橋桁受けの床石は残っています。

 さらに南東へ150mm菜麦原橋梁です。

 ここもレンガ作りの橋台が残っていますが、レンガの部分は高さが1m強と言うところ、大阪鉄道時代には長州架道橋附近から徐々に低くなってきていた事が判ります、床石も昔のまま残っています。

 東側も

 低い位置での床石が現存するレンガ作りの橋台が残っています。

 さらに南東へ400m葎池川橋梁です。

 この橋梁はレンガで作られている部分が下から60cm位しか有りません、本来、ここは川だったのか? 当時の事が詳しく判らないので説明が出来ないのですが、橋桁を受ける床石が3線分6個存在する事に首を傾げています。

 東側の橋台も

 レンガ作りの橋台が3線分残っています、あくまでの私の個人的考えですが、一番奥の橋台は関西鉄道と合併後に関西鉄道が桜ノ宮線と連絡のために設けた分岐線ではないかと推測しています。

 さらに南東に250m移動すると京橋駅の手前に

 この附近までくるとレンガ積みの橋台は高さが2m位になっています、この場所から南側600mには寝屋川が流れていますので、この高さになったのでしょう。

 東側の橋台も

 高くなっています、厳密に言うと西側よりレンガ一枚分位高いのではと思います。