東海道本線(旧線跡・京都~大津間)

関西周辺に残っている遺構を探してみました。

 本来、東海道本線が開通した時は京都駅~膳所駅間と彦根駅~米原駅間、米原駅~関ヶ原駅間、沼津駅~国府津駅間は現在の東海道本線のルートとは別のルートを走っていました、そこで京都寄りから当時の遺構を探して散策してみました。

 まず目に入ってきたのは京都駅のすぐそば、高瀬川橋梁(現奈良線)です。 開通当時は京都駅から現奈良線と同じ場所を通り稲荷駅を通って西へ大きく曲がり北上するルートを通っていました。

 京都市下京区屋形町附近の高瀬川の橋台です、白いペンキで塗装されていますが、現在の橋梁の南側に一段低い橋台が現存しています。 この橋台はレンガ作りでガーター橋の受け台は石で作られています、橋台の角の部分はR処理がされているレンガが使われています。

 反対側(京都駅側)はと言うと

 同じようにレンガ作りで橋桁受けは石造りで橋台の角はRの付いたレンガで仕上げられています。

 引き続き京都市内の琵琶湖疎水橋梁附近でも見つけることが出来ました。

 京都市東山区福稲岸ノ上町附近の奈良線鴨川橋梁の橋桁の下にある琵琶湖疎水の堤防に石積みの橋脚を発見しました。

 堤防の上に上がってみると。

 橋脚は2個有る事が判ります、下り線の橋脚はほとんどが堤防に埋まっているので構造は判りませんが、最上部のコンクリート製の円盤だけが下からは見ることが出来ます。

 このまま奈良線に沿って南下すると稲荷駅構内にも旧東海道本線の遺構かと思われる構造物を見ることが出来ます。

 京都市伏見区深草稲荷御前町附近の県道201号線です、稲荷駅の土留壁は石積みの構造になっています、この土留壁ももしかすると旧東海道本線の遺構かもしれません。

 同じく稲荷駅構内には書籍やインターネットで紹介されているレンガ造りの構造物があります。

 レンガ作りの構造物の横には旧東海道本線の説明やこのレンガ作りの構造物の説明案内板があります。

 このレンガで作られた構造物は準鉄道記念物として指定されています。

 レンガ作りの構造物はランプ小屋と呼ばれるもので、当時の木造客車の車内照明には、灯油ランプが使われていたそうで、夕暮れ時に停車する主要駅で、係員が各客車の屋根に上がり、作業窓からランプをつり下げる仕組みとなっていたようです。  また、駅務や保線にも灯油ランプが使用されていたために、このランプと燃料を収納するのに使われた小屋がランプ小屋と呼ばれるようになったそうで、地域によってはランプ庫、危険品庫と呼ばれることもあるようです。  危険物を取り扱うことから堅牢な煉瓦造りとなっています。

 旧東海道本線は稲荷駅を出ると同区深草僧坊町附近までは現奈良線と同じルートを通り、僧坊町15番附近から東の方へ曲がり始めていたと思われます、深草東伊達町には廃線跡を道路にしたような市道が有り、深草谷口町附近からは府道35号線、名神高速、市道などに置き換わったようで現存する遺構は見つからないまま滋賀県に入ります。

 滋賀県大津市逢坂1丁目18番附近で旧東海道本線の遺構に出会うことが出来ます。

 鉄道記念物に指定されている旧逢坂山隧道の東口でトンネルの脇には解説の看板が展示されています。

 

 上の写真は旧逢坂山隧道の東口、上り線の坑門です、石積みの坑門で現在は大学の研究施設になっているのか完全に閉鎖されています。

 

 この上の写真は旧逢坂山隧道東口の下り線の坑門です、こちらは入り口から5mほど開放されているので内部の構造が見ることが出来ます。

 この下り線の坑門には独特の装飾が有ります。

 坑門の上部、スパンドレル(笠石と帯石の間)に扁額と言われる装飾があり趣を醸し出しています。

 大津市逢坂1丁目13番附近、旧逢坂山隧道の道路を挟んで斜め前には

 旧東海道本線の跨道橋の橋台が現存しています、レンガと石で作られた大きな橋台ですが、反対側の橋台や橋脚などは現存しません。 この跨道橋の正式な名称は判りませんが旧東海道本線の遺構であることは間違いないようです。

 跨道橋の橋台の約50m東側にも旧東海道本線の遺構が現存します。 旧東海道本線は京都府内の大谷駅を出ると現大津駅に向かうのではなく、現膳所駅(当時・馬場駅)に向かいます、その軌道は現在の国道1号線で国道一号線の周囲を探すと。

 国道1号線の下に用水路のトンネルを発見できました、一見するとコンクリートで固められた放水口のようですが。

 中を覗いてみると。

 レンガと石で作られたアーチ橋(まんぽ)だったんです、このアーチ橋は線路と用水路が直角になっていないので斜めの用水路になっており、「ねじりまんぽ」と言われるアーチ橋になっています。 現在は音羽台1号橋となっていますが当時は東川橋梁と言われていたみたいです。