江若鉄道株式会社・その2

廃線跡散策(現・JR湖西線)

饗庭(あいば)駅から高島駅まで

 饗庭駅を出ると南へ約300m

 この道路が廃線跡なのか?それとも、東側の田んぼの中が廃線跡なのか?は不明ですが道の形から想像するに、この道路が廃線跡のような気がします。

 引き続き道路を南下すると、

 現在のJR湖西線新旭駅手前の画像です、道路のカーブが廃線跡のような気がしてきます。

 さらに南に南下すると

 写真右側のマンションとマンションの間の草むらが廃線跡のように思われます。

 さらに先に進んでみると

 先ほどのマンションの間の空き地がこちら側にも続いていました、これは、廃線の盛り土の跡ではないかと思います。

 引き続き南に進んでいるのですが、

 道路横の空き地は廃線跡のように思えます、道路を含めて考えると幅が広いので、もしかすると新儀駅(後の新旭駅)の跡かと思ってしまいます。

 書籍によると新旭駅を通り過ぎ南へ400m

 この附近が新儀駅(後の新旭駅)の駅跡だと書いてありましたが、写真右側の汽船タクシーの敷地が駅跡なのかもしれません。

 新儀駅(後の新旭駅)から南へ約700m、安曇川を渡ります、残念ながら安曇川橋梁の橋台や橋脚などは発見できませんでしたが、次の2枚の写真は何を意味しているのか?

 上流から流れ着いた鉄骨なのか?それとも??

 草が多い茂っているので、はっきりとは判りませんが、護岸が気になります。

 安曇川を越えると湖西線の下になってしまったのか、廃線跡の遺構とか構造物は見当たりません、約3.1km南へ移動したところ

 この附近に水尾駅が在ったと思われます。

 水尾駅跡地附近から南へ600m、夏に行った時は気がつかなかったのですが、JR湖西線の高架下に

10' 1.14撮影

 怪しげな道があります、夏は草や笹が覆いかぶさっていたのでは入れませんでしたが、改めて見る遠くのほうに何か構造物が?

 通路の中に入ってゆくと大発見か??

10' 1.14撮影

 コンクリート橋台が見つかりました。

 向かい側にも橋台がしっかり残っています。

10' 1.14撮影

 橋台の向こう側には石積みの翼壁も残っています。

 さらに南へ400m、JR湖西線の高架下に新たな構造物が

10' 1.14撮影

 石積みの翼壁みたいな構造物が残っています。

 すぐ横には書籍やインターネットで紹介されている

10' 1.14撮影

 橋台が見えています、手前が小田川橋梁の橋台だと思います(小田川は河川改修でこの場所より北へ約300m移動しています。)

 近くによって見ると

 夏の写真なので草が多い茂っていますが、橋台と川の雰囲気が判って頂けるかと思います。

 北側の橋台は

 ここも草が多い茂っていますが、橋台は現存しています。

 小田川の南側は

 この橋台は北側だけ残っていますが、道路の上に架かっていた架道橋の橋台だと思われます。

 この架道橋の南側橋台は現存しませんが、

 赤線で示したようになっていたのではないかなと想像できます。

 すぐ横にある竹薮の南側には

 竹薮の広がりを受け止めるかのように橋台と翼壁が残っています。

 横から見ると

 JR湖西線との位置がわかると思います、この附近は江若鉄道の遺構が豊富なので、この附近の遺構、構造物の位置図を掲載します。

 配置図にあるように、この竹薮横橋台のすぐ近くには

 田んぼの中に小さな橋台が残っています、この橋台の前後にあったはずの盛土は無くなり、田んぼになっています。

 暖かい時に見ると

 うっかりすると草に覆われて見落としそうな橋台です。

 小さな橋台の南には

 盛土が部分的に残っています、草が枯れた状況ですので、形も良く判ります。

 夏の風景ですが、

 遠くから眺めてみて、当時の盛土を想像してみました、写真内にある①は竹薮横の橋台があるところで、②は盛土が残っているところです。

 それでは残っている盛土を詳しく見てゆきましょう。

 盛土は部分的の取り壊されています。

 盛土の上に乗って北側を見ると、切り離された盛土と田んぼ、竹林の位置がよく判ります、竹薮は廃線の跡が竹薮になったようです。

 南側を見てみると切り離された盛土が連続して並んでいるのがよく判ります、盛土の向こう側は廃線跡に木が植えられているようです。

 盛土の終端部は

 園芸屋さんの土地になったのか木が植えられています。

 その先は

 植木が植えられていた場所の隣は畑や倉庫が建っています。

 でも足元に注意!! 足元の鉄板の下に何かが??

 鉄板の下には江若鉄道時代の小さな橋台が残っていました。

 江若鉄道の廃線跡はこの附近からJR湖西線の下に吸収されています。

 この附近に大溝駅(後の高島町駅)が在ったのではないかと思います。

引き続き南下しながら江若鉄道の遺構、構造物を探してゆきます、続きは3、大溝駅~雄松駅間に紹介してゆきます。