江若鉄道跡散策
その1・近江今津〜饗庭
 

 

 


江若鉄道株式会社は大正8年8月19日滋賀県大津市東浦町〜今津町〜福井県三宅村間の鉄道敷設の免許を得て、大正9年1月24日江若鉄道株式会社として発足、江若の「江」は滋賀県の近江の「江」を意味し、「若」は福井県の若狭の「若」を意味している。

翌大正10年3月15日の三井寺駅〜叡山駅間の開通を皮切りに、大正12年4月1日雄琴駅まで延伸、同年12月1日堅田駅まで延伸、大正13年4月1日和邇駅まで延伸、大正14年4月3日には南側三井寺駅〜浜大津駅間が完成、大正15年4月11日近江木戸駅まで延伸、同年8月11日雄松駅まで延伸、昭和2年4月1日北小松駅まで延伸、同年12月25日大溝駅まで延伸、昭和4年6月1日安曇駅まで延伸、昭和6年1月1日近江今津駅まで延伸し、全線51.0kmが開通しました。

軌間は国鉄(現・JR)と同じ1067mmで昭和22年からは浜大津駅〜膳所駅間を開業(国鉄の線路を使用)し、全線53.2kmとなりましたが、この区間は国鉄と大津電車軌道(現・京阪電鉄)の相互使用だったため(軌間が1067mmと1435mmの3線軌間と1435mmの軌間が平行して並んでいた)、膳所駅まで乗り入れていたのは一日2往復だけだったそうです。

 左の地図に示した@の附近、終着駅「近江今津駅」(滋賀県高島市今津町住吉附近)です。

 この場所に今も現存する近江今津駅駅舎跡の建物です。

 近江今津駅は写真内の赤い線で示したあたりに線路が敷かれていたと思われます。

 地図のA附近、滋賀県高島市今津町名小路2丁目から同市今津町今津に架かっていた天川橋梁です。

近江今津駅方面を見ています。

 

 近江今津駅寄りの橋台は草に覆われて見にくくなっていますが、写真内の黄い線で示したあたりにコンクリート製の橋台が有ります。

 

 大津寄り(南側)の橋台は草の間から少し見えています。

 

 天川橋梁の南側には両盛土が残っています、写真内の赤い線で示した所を走っていたと思われます。

 

 上の現存する両盛土を横から眺めてみました。

 一部分、盛土が無くなっていますが、赤い線で示したように盛土が有った様に見えます。

 

 地図のB附近、高島市今津町松陽台1丁目附近で盛土と言うほどの盛り上がりはありませんが廃線跡を思わせる空間が続いています。

 

 上の写真と同じ場所から反対側、大津方面(南側)を眺めています。

 こちらは私有地になっているようで、フェンスに囲まれ樹木も植わって廃線跡は判りません。

 

 同市今津町今津の湖西線近江今津電車庫が終わる附近です。

 この辺りからカーブして湖西線の下に入り込んでいるみたいです。

 

 今回の散策に際して、資料集めや古地図の確認が出来ていなかったため、北饗庭駅附近は確証が無かった為、散策できずに終わっています。

 

 地図のC附近、高島市新旭町旭附近に残る倉庫と住宅、この右側の湖西線が走るところが饗庭駅だったようです。

 

 旧饗庭駅南側から大津方面を眺めています。

 湖西線の高架下横に盛土のような場所を見つけました。

 

 引き続き南下しながら散策しましたが、旧新旭駅跡前らしき場所と旧高島駅の手前の橋台を見つけましたが、続きはその2でご紹介いたします。

 

2009年9月10日、11日撮影