浜松軽便鉄道その1 

 

 


       遠州鉄道奥山線

 浜松軽便鉄道奥山線(遠州鉄道奥山線)は静岡県浜松市中区常磐町附近から北区引佐町奥山附近までの25.7kmを走っていた、軌間762mmの軽便鉄道です。

 第一弾は金指駅より奥山駅までの9.8km散策してみました。

 天竜浜名湖鉄道(旧二俣線)金指駅西側の写真です。

 この附近は開発が進んでいて、写真内に赤い線で表示した附近に盛土?高架?が有ったようです。

 上の写真の西側に少し移動しました。

 一部の盛土は残っていますが手前側は高校のグランドに整備されています。

 赤い線は線路が通っていたと思われる場所です。

 浜松軽便鉄道時代の遺構発見第一号です。

 天竜浜名湖鉄道(旧二俣線)をオーバークロスしているコンクリート橋です。

 この後、同区引佐町井伊谷までは道を間違え、磐城セメント跡散策になってしまいましたが、井伊谷から再散策が始まりました。

 同区引佐町井伊谷から横尾附近に掛けての切通しの跡です。

 神宮寺川に寄り添うようになだらかなカーブになっています。

 同区引佐町横尾附近、神宮寺川に掛かる橋梁です。

 見た感じは道路になっていますが幅が狭い。

 横から見ると廃線になった軽便鉄道の橋梁の上に道路が作られていたようです。

 橋脚はレンガと石積みで作った橋脚で、上流部には水の抵抗を和らげるために矢の先のように尖らせてあります。

 橋梁の下側に回りこんでみました。

 枕木はありませんが鉄道橋梁であったことが判ります。

 川の堤防附近は高さが低いガター橋になっています。

 上と同じ部分を横から撮影してみました。

 この橋梁は東京石川島造船(現在のIHI{石川島播磨重工})が大正12年に製造したと言う銘板もありました。

 引佐町横尾から黒渕に掛けては緩やかなカーブになっています。

 同区引佐町田畑附近です。

 地元の方に聞いた所現在の道路の横を走っていたとの事、崖を降りてみるとそこには石積みの跡が有りました。

 同区引佐町奥山字中村附近です。

 ここはのどかな田園の中を走り抜けていたようです。

 引佐町奥山字中村と字小斉藤の間に掛かる橋です。

 幅は軽便鉄道が走ってもおかしくないような幅になっています。

 横から見てみると、軽便鉄道の橋梁を使った道路でした。

 ただ、橋脚から向こう側(字中村側)は通常のH鋼材の橋桁なので、掛けられている可能性があります。

 終点間近の同区引佐町奥山字門前附近です。

 この辺りは富幕川?陣座川に沿って緩やかなカーブを描いています。

 富幕川に架かる鉄橋跡です。

 護岸には橋台の一部が残っていました。

 川の中腹には橋脚とガーター橋が残っています。

 角度を変えてみると向こう岸にも橋台が残っています。

 鉄橋を渡ると直ぐにカーブになっていたようです。

 鉄橋の向こう側、竹薮を抜けた所は大きく開けていました。

 終着奥山駅はこの辺から始まっていたのでしょうか?

 終着駅の奥山駅が有ったと思われる場所は、遠州鉄道のバスターミナルになっていました。

浜松駅と金指駅間はまだ散策していませんし、金指駅から井伊谷までも散策が終わっていませんので、改めて散策してみたいと思います。