京都鉄道(嵯峨駅~亀岡駅間)

諸事情により馬堀駅手前から散策開始です。

 諸事情と言うのも京都鉄道株式会社の京都駅~嵯峨駅間は高架工事が大半が終了し、嵯峨駅~馬堀駅間は嵯峨野観光鉄道として使用されているから散策が出来ないからです。

 まず到着したのが京都府亀岡市篠町上太田附近に有る山本避溢橋です。

 山本避溢橋を南東方向から見ています、現在は嵯峨野観光鉄道トロッコ列車線として現役で使われています、このガーター橋は京都鉄道株式会社当時のままなのか、ボナール型の特徴を呈しています、正式な事は判りませんが「作30年式」と呼ばれる標準設計桁のようです。

 北西方向から見ると

 保線用のデッキが取り付けられています。

 橋台はというと

 東側はオランダ積みのレンガ構造ですが、床石や床石附近はコンクリートで固められて当時の面影はありません。

 反対側の橋台も

 東側と同じ構造ですが、翼壁の構造が判ります。

 山本避溢橋から南西に100m移動すると

 新線の向こうに鼻の穴みたいな構造物が見えてきました。

 旧線の下に2連のまんぽがあります。

 レンガ作りの2連まんぽですが、新線工事に伴い?翼壁と坑口の一部が隠れているようです。

 坑内はと言うと

 アーチ部は長手積みで側壁部はオランダ積みになっています、覆工のレンガは4層になっていて笠石も施されています、反対側は河川工事に伴い閉鎖されています。

 2連の中間部は

 左右対称に綺麗に積まれています。

 さらに南西に100m

 トロッコ亀岡駅の北東すぐに有る鉄橋で鵜ノ川橋梁です、上路プレートガーター橋下路プレートガーター橋の2連橋です。

 鵜ノ川橋梁の詳細を見ていきたいと思います。

 東側(京都側)の橋台です、山本避溢橋と同じようにレンガ作りで上端部はコンクリートで改修されています。

 橋脚は

 レンガ作りの尖頭型と呼ばれる橋脚で川の流れに平行に作られ上流、下流側共に尖がった形になっています、橋脚上部は床石橋座部はコンクリートで改修されています。

 西側の橋台は

 レンガ作りで床石橋座部がコンクリートで改修されていますが、北側の翼壁は昔のままで石積みになっています。

 橋桁は

 上路ガタープレート橋鉄道省時代の橋桁で昭和2年(1927年)製造の「達第94号式」と呼ばれる標準設計桁のようです、下路ガータープレート橋は残念ながら橋桁銘板が確認できなかったので不明です。

 トロッコ亀岡駅の下には

 

  小さなまんぽが存在しています、トロッコ亀岡駅の設置工事に伴い翼壁や坑門の一部はコンクリートに覆われてしまっています。

 特徴を見るために拡大してみると

 4層の迫持は焼き過ぎレンガで装飾され、笠石持ち送り積みと言われる装飾積みになっています、笠石の一番下は赤レンガと焼き過ぎレンガを交互に積んだポリクロミーと言う工法が使われ、最上段は煉瓦の小口を縦に並べて積んだ積み方になっています。

 反対側は

 山陰本線の複線電化工事により、平行して新線が出来たために坑門の一部しか見えませんが、北側の坑門と同じように焼き過ぎレンガを使った特徴は同じように見られます。

 さらに南西へ90mゆくと

 まんぽがあります、南側の坑門ですが先ほどのトロッコ亀岡駅下に有ったまんぽと装飾方法は同じようです。

 拡大して特徴を見て見ましょう。

 覆工の迫持ちは4層になっています、焼き過ぎレンガで装飾されています、内壁は落書きが多いのか白ペンキで塗り上げられています。

 笠木部分も

 先ほどのまんぽと同じように笠木部分は持ち送り積みという工法で装飾されています、一番下の部分は赤レンガと焼き過ぎレンガを交互に並べたポリクロミーと言う装飾技法が使われています、上の2段も焼き過ぎレンガで装飾されていますが、最上段は煉瓦の小口を縦に並べた装飾がなされています。

 反対側は

 北側の坑門は山陰本線の複線電化工事のためにほとんどがコンクリートで覆われてしまっています、覆工の一部が見えている程度です。

 馬堀駅東側附近から年谷川附近までは複線電化工事の影響で橋梁は全てコンクリート製になっています、年谷川橋梁の西150m(亀岡市三宅町)に

 三宅架道橋があります、この架道橋は橋台がレンガ作りです。

 東側の橋台も

 レンガ造りの橋台になっています。

 さらに西側へ50m

 小さな橋梁があります、こちらも橋台はレンガ造りになっています、この附近は複線電化工事の影響も無く京都鉄道時代の遺構が残っています。

 この続きは次のページに続きます。