浪速鉄道(片町駅~放出駅間)

浪速鉄道の遺構を探しながら散策しています。

 浪速鉄道と言えば片町駅から散策を開始したいところですが、片町駅周辺は東西線開通と共に様変わりしていますので、京橋駅の東側から散策を開始しました。

 浪速鉄道(現・片町線)を辿って京橋駅から西へ散策して行くと大阪市城東区新喜多1丁目附近で大きく南側にカーブして寝屋川を渡ります。

 寝屋川の北側、府道168号線にかかる寝屋川橋梁西側には盛土ののり尻がレンガを積み上げた土留壁が残っています。

 

 寝屋川橋梁の北側橋台はレンガと切石で組み上げた橋台で浪速鉄道時代の遺構だと思われます。

 

 府道168号線の中央部に建っている寝屋川橋梁の橋脚もレンガと切石で作られた橋脚で浪速鉄道時代から使われているように思われます。

 寝屋川を渡り城東区鴫野東附近にやってきました。

 現・鴫野架道橋の横にレンガ作りの橋台が残っています、この写真は北側の写真で浪速鉄道時代は架道橋というより橋梁だったのではと思わせる低さです。

 

 南側の橋台も現存しています、昭和23年(1948年)当時のアメリカ空軍が撮影した航空写真を見てみると、この附近に小川が有ったようです。

 上の写真の東側は現・鴫野駅になる訳ですが、浪速鉄道時代には鴫野駅は有りませんので、

 現・鴫野駅の北西側にある遊休地ですが、ここが浪速鉄道の跡地でその後国鉄時代の地上線時代の跡地のように思います。

 上の写真の遊休地は道路を挟んで反対側も遊休地になっていまして。

 国鉄時代の地上駅の跡地でしょうか? もちろん浪速鉄道もここを走っていたことになると思います。

 その隣の土地にも遊休地が続いています。

 ここからは少し上り坂になっているようです。

 鴫野駅の東側には

 低い橋台が残っていますが、残念ながらコンクリートで覆われているために、浪速鉄道時代の構造物かどうか? 橋台が有ったのかどうか?も判らない状態です。

 さらに東側に進むと

 野堵井路架道橋があります、ここもレンガ作りの橋台が残っていて、浪速鉄道時代は高さ2mのところに橋桁が架かっていたようです。

 野堵井路架道橋から東へ200m行くと(城東区天王田1番地に)連続橋が有ります。

 この橋台は楠根川橋梁で表面はコンクリートで覆われていますが、基礎はレンガ作りであることがわかります。

 橋脚は耐震処理がされていないので

 浪速鉄道時代の面影が見て取れます、もともとこの附近は川だったようで上流側は石で流れを分散するように鋭角に尖っています。

 ここに架かっている鉄橋は残念ながら

 橋桁は日本国有鉄道時代に架け替えられています、詳しく読み取ることは出来ませんが昭和23年?の橋桁のようです。

 楠根川橋梁からさらに東へ50m(城東区新喜多東2丁目9番地)のところに

 新喜多避溢橋梁があります、この橋梁も一見するとコンクリート製の橋台に見えますが、コンクリート橋台の後ろ側にレンガ作りの橋台が残っています。

 この鉄橋はカーブの部分なので橋台も段が付いていますが浪速鉄道時代はどうだったのか?

 鉄橋もリベット止めの古い感じはするのですが。

 銘板を覗き込んでみると

 日本国有鉄道時代の橋桁でした、廃線跡や古い鉄橋などを見て回っているのですが、銘板が取り外されていたり、この橋桁のように無理に引き剥がそうとしたのか真ん中で割れている銘板を多く見かけます、鉄道ファンがこのような事をしているのかもしれないと思うと、腹立たしく思ってしまいます。